離別シーンから見る、夏油傑という男が持つ自己矛盾と善性

夏油傑という人間を語るにおいて、象徴的なシーンがあります。
それは、「玉折における五条悟と夏油傑の離別」シーンです。

 

このシーンでは、夏油傑という人間の根底に関わる感情が読み取れる要素がざっくり3つあります。

それは以下の通りです。

 

  1. 「親だけ特別というわけにはいかないだろ
    それにもう私の家族はあの人達だけじゃない」
  2. 「や」〜「あ 五条?」の部分。
  3. 「もし私が君になれるのなら
    この馬鹿げた理想も地に足が着くと思わないか?」

1.「親だけ特別というわけにはいかないだろ
それにもう私の家族はあの人達だけじゃない」について。

夏油傑はとても頑固な人間です。
こうと決めたらこう、それ以外は認めない、という潔癖さがあります。
猿と関わった後に消臭をする様子などはそれがわかりやすいですよね。


ですが、このシーンからはそんな彼の決めきれない『自己矛盾』が読み取れます。

それでは、まず現時点での夏油の思考プロセスを考えましょう。


「猿のいない世界を作る」→「(夏油は一般の家庭の生まれであったため)家族は非術師である」→「家族も例外ではない」→「家族も殺さねばならない」→「両親の殺害」
こうなります。


ただ、私が引っかかったのは「もう私の家族はあの人達だけではない」の部分にあります。

夏油の価値基準で考えるなら、家族は「人」ではありません。「猿」のはずです。
しかし、この時の夏油は「あの人達」と言っています。「人」扱いなのです。

そして、次に。


自分の肉親を手にかけ、新たに形成したコミュニティに「家族」という名前を与えたところ。この二つが、彼の『自己矛盾』について読み解く鍵となります。

これは、ファンブックにある「『非術師は嫌い』と言い聞かせてきましたから。」のところと照らし合わせて考える必要があります。

 

夏油の感情の根底では、「自分がそういった理想を掲げた以上、家族であっても覆すことはできない」という葛藤があった上で殺害を行なったと私は感じています。

それは、筆者である芥見先生本人が「言い聞かせていた」と記載しているところから、まず感じたことです。

感情のうちでは、「やりたくないが、覚悟を決めた以上やらなくてはいけない」と感じている。

 

だからこそ、「猿」であるはずの、家族を「人」と言っている(言ってしまっている)。
これは、彼の内面の柔らかい部分がこぼれたものだと、私は解釈しています。

猿だと思い込もうとしていた。


が、離別時点ではまだ、あくまで形の上だけだと思います。
殺害を行なった時の夏油は、「猿だから殺せた」というより、「人を、家族を殺したのだ」という感覚でいる方が正しいでしょう。

 

そして何より、新しいコミュニティに「家族」という名前をつけている。


私はこれを、彼の無自覚な失ったものへの執着だと思っています。

自分の手で壊したはずの「家族」と同じものを、また作ってしまった、求めてしまったこと。

「家族」は、肉親とミミナナは、夏油にとって同ラインの存在であるということが「あの人達だけじゃない」から読み取れます。


①についてはひとまずこれで終了です。
次に、②の、「や」~「あ 五条?」の部分について考察していきます。

 

2.「や」〜「あ 五条?」の部分

「や」と登場し、硝子に「運試しってとこかな」と言う夏油。
そもそも、覚悟が決まった夏油であれば、もう会うことはないと決めている以上、ここで硝子に会う必要はありません。
殺戮の後、呪術高専に戻ってくることも本人から報告に来る事もありませんでしたし。
しかし、会いに来ています。

 

これを、私は、現時点での夏油に未練もしくは心残りがあったからではないかと解釈しています。
硝子が五条を呼んだあと、五条と夏油は対面したとき、先に声を発したのは五条でした。
そして、五条の質問に答える形での対話が続きます。

 

ここの部分から私は、夏油から何かを言いに来たわけでは無く、五条と最後に対話がしたかったのだと考えました。
しかし、五条の「できもしねぇことを~」で、夏油は五条に質問への回答ではなく、問いかけをします。
「できもしねぇことを」と言われたことにより、この五条との邂逅で求めていた、夏油の中の何かが折れたのかと感じました。
それは『悟は最強になった』『必然的に私も1人になることが増えた』のモノローグから読める、夏油が持ち始めていた孤独感、ある種のコンプレックスをそのまま突き付けたセリフだったからでしょう。

 

夏油がこの時、何を求めていたのかはわかりません。
それは、五条に共に来てもらう事なのか? 共にいた親友に心情を聞きたかったのか? 自分の行為を親友によって糾弾されたかったのか? そのどれとも違うのか、もしくは……。

 

盤星教での「コイツら殺すか?」「いい 意味がない」と、離別時の「殺したければ殺せ それには意味がある」は対になっていると私は思っています。

 

まさにこのとき、夏油は自分が悪であること、そして殺されるべき存在であると自ら肯定しているのです。


その上で、彼は親友に会いに来ました。

決めた以上、黙っていなくなることも選べた。それでも会いに来たのは、彼なりの迷いがまだあったからだと私は考えています。


もしかしたら、この時、そんな自分を悟の手で殺してほしかったのかもしれないなと感じました。

 

3.「もし私が君になれるのなら
この馬鹿げた理想も地に足が着くと思わないか?」

夏油本人は、自分の理想を「馬鹿げた理想」と言い、「地に足が着く」とまで言っています。
家族殺しというもう後に引けない状況にまで追い込んで覚悟を決めた非術師殺しは、彼にとっては馬鹿げているものなのです。


そしてそれを、本人は理解した上で、実行しようとしています。

盤星教の施設で、「意味がない」と自分で言ったことを、「意味がある」と自分でひっくり返して。
しかしそれを、『馬鹿げたこと』だと認識している。


まさに、矛盾です。

家族を「猿」ではなく「人」と言ってしまったことも。
新たなコミュニティに「家族」という名前を付けたことも。
自分の大義を、「馬鹿げたこと」だと感じているのに実行しようと決めたことも。

それらすべてが、夏油自身が持つ「自己矛盾」でした。

 

心から狂い思い込めたのなら、そうはならないと私は感じます。
そしてそれこそが、かつて彼を形作っていた「弱者生存 それがあるべき社会の姿さ」「弱きを助け 強きを挫く」という考えの上に、無理やり張り付けるようにして新たに思い込もうとした価値観だったからだと解釈しています。

 

夏油傑という男は、新たな大義に適応しようとした結果、歪に、極端に進んでしまった――それは彼の中にある善性そのものを失う事が出来なかったからだと感じました。

 

これにて、ひとまず離別シーンでの考察は終了します。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。